十二社クリニックとの出会い
息子が帰って来て前の診療所の外来を手伝うことになったので、私は引退するつもりだった。とりあえず週1回のアルバイトを始めたが、そこでは検診の診察が主で不完全燃焼の気分が強くなってきた。そこに閉院した診療所を紹介するプロジェクトを県医師会のホームページをみたら譲渡したいという4か所ほどが紹介されていた。福島市から離れたところでもよかったが、これだと思うところが見つからなかった。県医師会の担当の人から登録するとIDやパスワードがもらえてもっと詳しく情報が見れると聞いた。そうしてHPをみると9施設の建物の大きさや間取りなどを見ることができた。その中に閉院した十二社クリニックがあった。
24年間の開業の時は入院を持っていたから遠くの山には登りに行けないのでふくしま百名山という本を買ってそこで紹介されている山に日曜日の午後に登り始めた。福島からだからどうしても阿武隈の山が多くなる。そうして114号線を走ることが多くなり、川俣町の入口にある十二社クリニックが目に入っていた。ここで開業できるのか?と詳しい話を聞きたくなった。
県医師会の担当の方に連絡すると建物の中も見れるという。早速、日にちと時間をきめて現地に向かった。間取りは十分と思えた。入院は持たないし、大きな手術ももうしないことにしている。リハビリ室はなかったが大きな点滴部屋があった。この部屋の一部で理学療法をできそうだ。レントゲン室には胃透視の機器は処分されてなかったが、最近の胃の検査は胃カメラが主でバリウムでの透視撮影はそれほど需要がないから透視の機器はなくてもいいかと思うようになっていた。しかし、外傷などで異物があったら透視で探すなどの処置はしたい。医療器械の納入業者に相談したら、連続で撮影はできないが、透視を出して1回の撮影ができる器械があるという。
診察室の隣にインフルエンザ用の小さな診察室があったので、ここで胃カメラや小手術をすることにした。点滴用のベッドは胃カメラ時にはちょっと低いので大工さんに”ゲタ”をはかせてもらって少し高くすればいい。
十二社クリニックは角田理恵子先生が個人で開業して軌道に乗ったところで医療法人白鷺会の経営にしたようだ。しかし、角田先生はクリニックを1年半前に閉院して医療法人は解散することにしていた。それを聞いて医療法人の解散は思いとどまってもらった、10年ぐらい診療所を経営するなら今ある医療法人を引き継げばいいのでは?と考えた。つまり、医療法人白鷺会の理事長を角田先生から私が引き継げばいいのだ。仲介してくれたのは白鷺会の会計を担っていた会計事務所の関連会社の医療介護福祉研究会だった。この担当の方は以前勤めた病院の会計を担っていた関係で以前から知った人だった。そのため、話はとんとん拍子に進んだ。ただし、当初提示された家賃はクリニックの場所を考えるとちょっと高いんじゃないかなと思えたので安くしていただいた。
承継開業に向けた準備
間取りなどほぼ問題ないように思えたが、やはり改修は必要だった。診察室の壁の変更、レントゲン室のフィルム保管棚の撤去、熱発外来用の小部屋の設置、FFヒーターの撤去、エアコンの更新などをしなければいけなかった。
十二社クリニックは小児科も標榜していたが、私は小児科を標ぼうしないことにしたし、外科・整形外科を標ぼうするので、診療所が同じ名前では患者さんは小児科を診てくれると思うだろうと考え、診療所の名称を十二社内科外科に変えることにした。これには医療法人の定款の変更が必要だったので開業が1か月遅れた。その分、家賃の支払いを遅くしてもらった。
問題は職員であった。知り合いの看護師数人に声をかけたがすべて断られた。福島市内の看護師さんが川俣まではいきたくないという。当たり前と思う。知り合いの労務士さんに相談して賃金の幅を決め、ハローワークに登録したが、なかなか応募がない。医療事務や看護助手のい応募はあった。開業まで1週間を切って看護師さんゼロで始めるか?と思い始めたところにやっと応募があり、常勤2名とパート2名で開業できた。
医療事務は未経験者しか応募がなかった。電子カルテやレセプトソフトは前に働いていた診療所と同じものにしているので、そこに出向いてもらい医療事務の実務を経験してもらった。看護師には胃カメラなどの洗浄などの操作を覚えてもらった。看護助手にはオートクレーブやEO滅菌機の操作を覚えてもらった。
十二社クリニックを引き継ぐ話が出た時点で取引のあった銀行2行に融資の相談をした。融資に必要な私個人の住民票や名寄せなどを用意して申し込んだ。結局、金利が安かった銀行(A銀行)に決めた。はずれた銀行にはちょっと叱られたが、ビジネスライクに決めた。
10月末に私や息子や娘を理事に、知り合いには幹事になってもらい、前の理事に辞任してもらった。そして、11月1日に角田先生が理事長を退任され、私が理事長になった。そして十二社内科外科を経営することを法人の目的とする定款に変更して保健所に診療所開設の申請をした。
定款の変更を待っていると法人名義の電話の設置が遅くなるので、個人で申し込んだ。レセプト用に光回線とそれから分かれる光電話を普通の電話用とファックス用の2回線にした。
10月半ばから始まっていた改修工事は11月半ばまでかかった。そして、電カルのパソコンとレセプト用のパソコン、レントゲンの撮影機と読み取り機、オートクレーブ、開業前に受けて化学物質管理者となって使えるEO滅菌機、カウンターショックができる心電図モニター、院内検査用の末梢血検査機、胃カメラ、
薬の分包機など大型の機器が搬入された。趣味のオーディオは笹木野から運んだ。以前待合にあったテレビは古いので院長室にいただき、黒がきれいだという有機ELテレビを待合に準備した。
融資は設備購入用と運転資金の二通りに分かれていた。購入予定の物品の見積もり価格を銀行に提出してその総額が融資された。そのなかにはすぐに必要でないものや中古のものに変更したものがあって借りた金額に届いてなかったので、その分往信用の軽自動車や血算の器械や診療所改修の費用を充当できると考えて銀行に話したら、前もって申し込んでいないものの購入には使えませんと貸してもらえなかった。とりあえず運転資金で支払ったが、開業してすぐに外来患者さんが多いわけではないので運転資金は底を突いた。仕方がないので、自己資金を800万円ほどつぎ込んだ。
職員の給料を振り込むためにA銀行のインターネットバンキングを使えばいちいち銀行に行かなくてもいい。その手続きをしたが、この操作が煩雑だった。それも銀行の担当者に入力してもらわないとうまくいかない。そして、設定したパソコンでしか操作ができない。さらに毎月パスワードを変更する必要がある。そして、決定的だったのは通帳を見たら毎月5,500円ひきおとされていた。年間5,000円だと思っていた使用料は月額だったのだ。
数年前からヤフオクなどで購入するために、Japan Net Bank(JNB)の個人口座は持っていたのでJNBの振り込みは慣れている。インターネットにアクセスできる環境とパソコンがあれば24時間、自分の都合のいい時に振り込める。執行は銀行の業務時間になるが、現金の出し入れはセブンイレブンなどのコンビニエンスストアで行える。硬貨は使えないし、30,000円未満の出し入れは費用がかかるが仕方がない。JNBの法人口座を作ることにした。
職員の給料振り込みは当初A銀行から行っていたが、使用料が月額5,500円と高額なのと操作が煩雑なのでやめることにした。JNBは同じJNB同士の振り込みは52円なのでJNBで給料を振り込もうかと思ったが、ほとんどの職員がJNBの口座を持っていないし、JNBの口座を強要するわけにはいかない。一方、ゆうちょの口座はほとんどの職員が持っていたし、当診療所の隣が郵便局なので職員もその方がいいという。ゆうちょの法人口座を作るのはJNBに比べちょっと面倒だったが、局長が懇切丁寧に対応してくれた。ゆうちょにゆうちょダイレクトというサービスがあり、JNBとほとんど同じ操作で振り込める。しかも同じ郵貯の場合は振込料は100円だ。さらに毎月5回までは無料なので職員が自分を含めて9人だと全員に振り込んでも400円しかかからない。
県医師会の担当の人から今回の医業承継に対して県から補助金がでると聞いていたが、仲介してくれている研究会が手続きをしてくれて県から補助金がでることになった。10万円以上の医療器械と建物の改修費の総額の半額が補助されるという。往診車は地域医療の補助制度があり、申請して3分の2の補助が決まったし、エコーは体表エコーに限られるが県民健康調査の補助制度があり、こちらも購入額の3分の2の補助金が出るので機種選定の準備をしている。
職員採用についても補助があるようだ。60歳以上の人、小さな子供がいる人を採用すると補助金が出るようだ。また、特定の地域に住んでいる人を採用することにも補助があるようだが、複雑でしっかり把握できていないので労務士さんに任せている。
最後に
12月1日の開業に際しては全理事長の角田先生の幼馴染の前川俣町長が開業セレモニーをやってくれ、報道機関にも連絡してくれて大々的に医業承継が世間に知れ渡った。県からの補助、県医師会のご協力、前理事長の角田先生のお助けをいただいたので地域医療に貢献したいと思っているが、いったん閉院してから1年半が過ぎており患者さんはまだ少ない。 なお、Japan Net Bankは先ごろPayPay銀行と名前が変わった、窓口での支払いをPayPayでできるようにしたのはもちろんだ。
福島県医業承継バンクより
福島県からの委託により医業承継バンクを立ち上げて2年が経過した令和元年12月に、医業承継バンクを通じて初の契約成立による開業となりました三宅先生より、承継開業に至るまでの経緯についてご寄稿いただきました。